キャンペーンの提唱者、ワンガリ・マータイさんとお付き合いさせていただいたご縁で、ケニアをはじめ世界中を回り、取材してきました。このブログでそうした体験や私なりの感想を皆さんにお伝えできれば幸いです。
ご存知のようにマータイさんはケニア山(5199メートル)の麓にあるイヒデという山村で生まれました。ケニア山は富士山と同じようにケニアのシンボルとされ、世界自然遺産に登録されています。ケニアという国名は、この山が由来なのをご存じでしょうか。
ドイツの探検家が1849年にこの山を目にしたとき、同行していたカンバ族のガイドに「この山は何というのか」と訪ねたところ、たまたま、ひょうたんでできていた容器を持っていたガイドが、ひょうたんの名前を聞かれたと勘違いし、「ケーニャです」と答えたのが始まりだとか。これが英国人に「ケニア」と発音されて山の名前となり、後に国名になったということです(※)。
山麓の人々はマータイさんの先祖もそうですが、ケニア最多の部族で、大部分が農業に従事しているキクユ族です。キクユ族の人々にとってケニア山は神がすむ神聖な場所とされ、祈るときも、家を建てるときの入り口も、死者を埋葬するときもケニア山の方角に向くのが習慣だそうです。
ケニア山の山頂付近は氷雪に覆われ、実に神々しい姿に見えます。一方で、この山は「シャイな山」とも言われ、普段は雲に覆われて姿を見せるのはまれです。マータイさんも幼いころから、この姿を眺めながら育ったため、ケニア山への思いは格別なものがあったようです。
マータイさんは2004年12月に環境分野で初めて、またアフリカの女性としても初めてノーベル平和賞を受賞しましたが、その記念樹として植えた場所が、生まれ故郷に近いニエリのリゾートホテル「アウトスパン」の庭先でした。ここは庭先からケニア山を一望できるホテルとして、またボーイスカウトの創設者であるベーデン・パウエル卿が晩年を過ごしたホテルとして有名です。
住民はマータイさんが植えた木を「マータイの木」と呼んで今でも大切にしています。下記の写真は植えてから約1年たった2005年12月にマータイさんと撮影したものです。左端に映っているのが私です。このときはケニア山は雲に覆われ、見ることはかないませんでした。そこに泊まってケニア山を見たかったのですが、その日はナイロビに戻る用事があったため、後ろ髪を引かれる思いでホテルを後にしました。
それから7年後、再びこのホテルを訪れるチャンスがめぐってきました。それがこの写真です。同じ場所で2012年11月に写した写真で、「マータイの木」が大きく成長している様子が良くわかると思います。
この木はケニアの原生種であるオレア・アフリカーナという木です。外来種と比べて成長は遅いのですが、根を地中深く張ります。それが土壌流出を防ぎ、水をためる役目を果たしているのです。マータイさんがケニアで奨励しているのが、原生種の植林です。
私たちは、ケニア山が一望できるアウトスパンホテルに2012年11月、初めて宿泊することができました。しかも私は、パウエル卿が過ごした部屋に案内されたのです。泊まった翌朝、庭先に目をやると、なんと、シャイなケニア山が、私たちの前に姿を現しました!このとき私たちが、ケニア山の神さまと、前の年に亡くなったマータイさんに手を合わせたのは言うまでもありません。
※ワンガリ・マータイ自伝「UNBOWED~へこたれない」から